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2013年11月22日 (金)

「作品」向性

私の悩みというか疑問の一つ、
「生演奏を聴いても感動できない(事が多い)」。
世の中の大半の人々は、
直接空気の振動として伝わってくる生演奏のほうが、
再生機器(CD等)よりも感動の度合いが高くなる、
と言っているように思います。

先日のチェロのリサイタルでも、
やっぱり涙を流すとか、鳥肌が立つ、
というような感動は味わえなかった私。
私の「感動センサー」がおかしいか、
よっぽど鈍感なのかと落ち込みます…。

しかし、こんな私でも
音楽が好きでピアノもチェロもやっているわけだし、
時にはCD等を聞いて、涙することも鳥肌が立つこともあります。
私の感動センサーのオンオフが一体どうやって切り替わるのか…。
考えてみました。

現時点での答えは、たぶん私の感動が「作品」向性であること。
つまり、どんなに素晴らしい演奏を聞こうと、
私がその時、聞きたい、欲している音楽(作品)でないと、
感動を呼び起こさない、という事です。
たとえば、
超一流シェフが腕をふるった料理であっても、
その時自分が食べたい料理、メニューでなければ、
「美味しい」と感じることができない、
そんな感じです。

それを「鈍感」と言うならそれまでですが、
どんなに美しい、素晴らしい演奏であっても、
その時の自分の感情や思考が求める音楽でなければ、
私のセンサーがオンにならない、
そういう風に感じます。

思い返すと、以前行ったことのある
シューベルトがメインのピアノリサイタル、
あまりの退屈さに途中で帰りたくなった経験があります。
(たぶん、ピアニストの演奏は素晴らしかったと思います。
私があまりシューベルト好みではないだけです。)
反対に、感動でステージにくぎ付けになった経験としては、
そうですね、たとえばモーリス・ベジャールバレエ団の「ボレロ」などがあります。

まあ、結局ライブでの音楽の美しさそそのものに鈍感、
というのは厳然たる事実です。
はたして、私のこの性向は、楽器を演奏する上で致命的なのか。
そこが気になるところではありますが、
今更気にしても仕方がないことだとは思います。
どういう形にしろ、「音楽が好き」ということに嘘偽りはありません。
今後コンサート、リサイタル等にも、機械があればなるべく足を運びたいです。
その中で、自然にまかせて自ずと「感動」がやってきてくれれば…
そう願います。

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コメント

音楽であれば、聞くのが好きな人、演奏するのが好きな人、絵画彫刻なら、観るのが好きな人、自分で描いたり作ったりするのが好きな人、といろいろいますよね。
どんな形であれ、芸術にかかわっているということは素晴らしいですね。

コロ健さま、コメントありがとうございます。
私は、聴くのも弾くのも好きなんですが、耳が悪い(あるいは感性が鈍い)のか、
感動しにくいのが悩みなんです。。。
そういえば、常日頃から「冷めている」ともよく言われますね。
それもまた、ありのままの自分と割り切って、
楽しく音楽とかかわっていければ、と思います♪

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